共感

「共感するとなぜ嬉しいのか。」これは、以前から漠然と考えているテーマで、とりわけ興味があるものでもあります。それは、あらゆる営みの根元がここに帰着するような気がするからです。

 

…しょうもない。そんなの抽象的なテーマだったら大体そうだろう。

 

そうかもしれません。しかし、私にとってこのテーマは考えるうえで必要十分なサイズに思えるのです。「人とは何か」とか「生きるとは何か」とかとは違う、考えやすく、考え続けるべきもの。

 

ふと、このテーマの答えを少しだけ言語化できそうな気がしたのでこの記事を書いています。それは、「軌跡において、十分性を確認する」ことに近いな、って思ったんです笑

 

わたし達は、手探りで一方通行の世界を生きています。その足跡[軌跡]が、細く薄い線が、うねりながら続いています。ここで、この逆を確認する術の一つが「共感」なのではないかなと思うのです。

 

「私は今〇〇だ。過去に△△をしたからかもしれない」と私が言うと、「私もそうだ。過去に△△をした。」と返ってくる。これは、紛れも無いそれ自身の逆を確認していることになります。

 

細く薄い線を加筆、修正しつつ、自分の軌跡をかく。あなたの軌跡をあなた一人でかくなど、土台無理な話なのです。