影響
私は、大きな影響を周りに与えてしまう。間違ったことは出来ないし、迷惑はかけられない…。そう思っているなら、あなたが周りに与えている影響は想像ほど大したものではないでしょう。私が周りに与える影響なんてちっぽけなものだ。大したことはないから、適当で大丈夫…。そう思っているなら、あなたが周りに与えている影響は想像以上のものです。
よく見て下さい。あなたの周りの人たちを。まだ大丈夫です。もっと頑張れます。もう寝る時間です。
ひとりごと
BUMP OF CHICKEN の「ひとりごと」といういかにもバンプらしい曲があります。
「ねえ、優しさってなんだと思う?僕少しわかってきたよ。きっとさ、君に渡そうとしたら粉々になるよ。ねえ、君のために生きたって僕のためになっちゃうんだ。本当さ。僕が笑いたくて君を笑わせてるだけなんだ。ごめんね。」
…そういえば、「透明飛行船」の中でも似たような事が歌われてました。
「優しさの真似事のエゴでも出会えたら無くさないように。優しさの真似事は優しさ。出会えたら迷わないように。出会ってる無くさないように。」
ストレンジカメレオン
the pillowsのストレンジカメレオンという曲が好きです。歌詞が良い。《周りの色に馴染まない〜出来損ないのカメレオン〜♪》
人は一人では生きていけない(生きていくのは辛い)と、幼い頃から聞かされているし、確かにその通りだと思います。しかし、そのしがらみのために苦労を強いられていることも感じます。このあまりにもシンプルな矛盾が、いかに深刻なテーマであるかを事あるごとに突きつけられます。
さて、カメレオンは周りの色に同化するために色を変えていると思われがちですが、実際はそうではないらしいです。体調や気分、温度、光などの心的要因や環境要因を細胞レベルで感知して色を変えているそうです。
この事実って結構嬉しくないですか?周りに合わせてた訳じゃないんです。自分色に変わってたんですよ。ストレンジカメレオンなんていないんですよね。
共感
「共感するとなぜ嬉しいのか。」これは、以前から漠然と考えているテーマで、とりわけ興味があるものでもあります。それは、あらゆる営みの根元がここに帰着するような気がするからです。
…しょうもない。そんなの抽象的なテーマだったら大体そうだろう。
そうかもしれません。しかし、私にとってこのテーマは考えるうえで必要十分なサイズに思えるのです。「人とは何か」とか「生きるとは何か」とかとは違う、考えやすく、考え続けるべきもの。
ふと、このテーマの答えを少しだけ言語化できそうな気がしたのでこの記事を書いています。それは、「軌跡において、十分性を確認する」ことに近いな、って思ったんです笑
わたし達は、手探りで一方通行の世界を生きています。その足跡[軌跡]が、細く薄い線が、うねりながら続いています。ここで、この逆を確認する術の一つが「共感」なのではないかなと思うのです。
「私は今〇〇だ。過去に△△をしたからかもしれない」と私が言うと、「私もそうだ。過去に△△をした。」と返ってくる。これは、紛れも無いそれ自身の逆を確認していることになります。
細く薄い線を加筆、修正しつつ、自分の軌跡をかく。あなたの軌跡をあなた一人でかくなど、土台無理な話なのです。
心に従う
いつだったか忘れましたが、「心に従いなさい。きっと正しいから。」という言葉を聞きました。これが凄く難しい。周りから見れば、「えっ、なんでそれくらい自分で考えて出来ないの?ボーっとしないでね?」と思うようなことも中々行動に移せないのです。動揺を隠すには、ボーっとするしかない。それくらい当然私だって考えています。寧ろ、気付くことには長けているように思います。腕から何本もの転ばぬ先の杖をぶら下げながら、それをバラバラ落としながら転倒。いつからなのだろう。「〇〇をすべき場面だ。」「〇〇をしてあげたら喜ぶかな。」がゴールになったのは。心ばかりが汗をかくのです。時間が経てば経つほど弱気になって、ひどければ吐き気がしてきます。…はい、酷い言い訳ですね。
開設
何歳になってもしょうもない文章を書きたくなるので困っています。ほんの時々、つらつら何か書こうとおもいます。基本的には表現することが苦手なので、色々書き始めたら、ストレスが溜まっているのかもしれません。